📝 このブログは『コテツの妻』が運営しています
一般企業勤務の妻が、地方公務員の夫(コテツ・37歳)の体験談を、本人の言葉のまま書き起こして公開しています。
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俺は地方公務員だ。
でも、最初から公務員になりたかったわけじゃない。
正直に言う。
「女の子にモテたい」
これが、公務員試験を受け始めた本当の動機だ。
そんなふわっとした動機で受け始めて、3年落ち続けた。1年目も2年目も、全部の試験で不合格だった。
最初に本命だったところは、全部落ちた。
3年目で、ようやく合格した。同期の中では、少し年上だった。
「3年も浪人して、何で受かったの?」とよく聞かれる。
振り返ると、答えは1つしかない。
「落ちてもいい」と思えた瞬間、受かった。
これは、その話だ。
東京の和食店を1年で辞めて、ニートになった24歳になる年の春

大学を卒業して、東京の和食店に就職した。1年未満で心が折れて、行けなくなって辞めた。湘南の海で1週間さまよい、東京のアパートで約1ヶ月ニートをした末に、実家に帰った。
実家の近くにある、おばあちゃんの空き家をたまに訪れては暇つぶしに掃除した。
おばあちゃんは当時、施設に入っていて、家は空き家になっていた。たまにその整理を、俺が進んで引き受けた。そうやって目の前にやることを探しては、暇を持て余していた。今思えば、あれも現実逃避だった。
そして俺は約3ヶ月もの間、ほぼ何もしなかった。
寝て、食って、YouTubeを貪り見た。
そして、まだ壊れていなかったスーパーファミコンで現実逃避した。
幼少期に買ってもらってから、ずっと生き残っていた、子供の頃からの愛機。
24歳になる年の春。家にこもって、スーファミのコントローラーを握っていた。
「こんなに時間があることが、こんなに苦痛だとは思わなかった」
曜日感覚がなくなる。仕事をする気になれない。彼女もいない。お金もない。
3ヶ月経って、「何かやらないと、俺は壊れる」という焦りが出てきた。
試験勉強しているはずが、スーファミに逃げていた

「公務員試験を受けよう」と決めた。
動機は単純だった。
和食店時代に唯一できた友人がいた。
その友人は、鍛え上げた体で、面白くて、明るくて、女の子にモテていた。
「俺もあいつみたいになりたい」
あいつの姿を見て、単純に思った。筋肉ムキムキのほうが、モテる。
じゃあ、仕事はどうする。安定していて、今の俺が無難にモテるための最適解──考えて出した答えが、公務員だった。
本気でそう思っていた。
試験を受けると決めたとき、同時に居酒屋とスポーツジムのバイトの掛け持ちも始めた。
理由は単純だ。ペーパーの試験勉強だけをやっていると、気が狂いそうだったから。
同年代の誰かとコミュニケーションを取っていないと、心が押しつぶされそうというか、単純に人恋しいというか、寂しいというか。一人だと、なんでもネガティブに考えてしまう。
それに、受験するにも少しは金がかかる。24歳にもなって、なんでもかんでも親から金をもらって生きていくわけにもいかない。気晴らしと、普通に小遣い稼ぎもしたかった。
そういう葛藤が相まって始めたバイトだった。
肝心の勉強のほうは、まず通信講座から始めた。
続かなかった。
小学校時代の進研ゼミでも同じだった。通信講座という形式が、俺には合わない。
すぐに通学型の資格スクールに切り替えた。視聴覚室でDVDを見るスタイル。
でも、勉強は得意じゃない。集中力もない。
休みなく毎日同じ。
机に向かっても、すぐに気が散る。ぼーっとしていると、別のことばかり考えてしまう。
「現実逃避の手段を、ずっと探していた」
そう言うと、聞こえはいい。実際はもっとひどかった。
結果:1年目は全落ちした。
- ある自治体の試験:不合格
- 首都圏の公務員試験:不合格
- 近隣自治体の公務員試験:不合格
資格スクールの仲間たちは、俺以外、みんな受かっていた。
俺だけが、不合格だった。
正直、何がダメだったのか、当時はわからなかった。今になって振り返ると、自分を大きく見せようと必死で、聞かれてもいないことまでダラダラ話していた気がする。
面接で求められる答え方ができていなかった。
悔しかった。
25歳、派遣の工場で検品作業をしていた

1年目の不合格を、親に伝えた。
意外なことに、衝突はなかった。
「あ、そうだったか」「そうか、残念だね」
その程度の慰めだった。
親は「好きなようにやったらどう」と任せてくれた。
俺の方から「2年目は環境を変える」と提案した。
「実家で甘えながら2年目を受けても、いい結果は生まれない」
20代半ばで、実家を出て一人暮らしを始めた。
引っ越し費用は、親から30万円借りた。無利子で。
(その後、ちゃんと返済した)
大きな家電は実家から運んだ。引っ越し業者は使わず、親と車で何度も往復した。
居酒屋とスポーツジムのバイトは、全部辞めた。
代わりに、ある製造業の派遣社員になった。
時給1,200円・土日1,500円。家からバイクで30分。
採用面接なし。登録して、見学して、翌日から勤務開始。
工場は二交代制。1週間昼勤、次の1週間は夜勤。1週間ごとに昼夜逆転する生活。
繁忙期は、毎日2時間の超過勤務を頼まれた。
「勉強か、残業か」を毎日迫られた。
ジム目の前のアパートに引っ越し、一人で勉強を始めた

新しいアパートは、スポーツジムの目の前にした。
家賃5万円。元ヤンキーが乗っていたボロボロのバイク(5万円で買った)で工場に通った。
モテるために、男らしい肉体を手に入れて、自分に自信を持つために、体づくりも全力でやった。
アパート近くのジムに毎日通って、ウェイトゲイナー系のプロテインを飲んで、夕飯の米を毎日2〜3合食べた。胃腸が弱いから、下痢になる日もあった。
最初の3ヶ月は、筋肉痛で辛かった。
3ヶ月経つと、体に変化が出てきた。重量も増える。腕立ても増える。
「成長を感じられる」
これが、唯一楽しかった。
勉強よりも、筋トレの方が、結果が見えやすかった。
でも、その筋トレに逃げていた面もある。
結果:2年目は1年目より悪化した。
- ある自治体:グループ面接で不合格
- 別の自治体:最終面接で不合格
- 首都圏の公務員試験:一次筆記で不合格(最悪)
「試験勉強に真剣に向き合っていなかった」と、自覚していた。
工場の残業と、筋トレと、生活の維持で、勉強が後回しになっていた。
動機は「モテたい」だけだった

あの頃の俺は、勉強しているつもりで、頭の中はいつも別のことを考えていた。
「女の子にモテたい」
これしかなかった。
ムキムキになって、安定した仕事に就けば、モテる。
その動機だけで、3年間、走り続けた。
かっこ悪い動機だ。情けない動機だ。
でも、これが本音だ。
30代になった今、振り返って思う。
「心の余裕がないと、本命の子にはモテない」
本気で好きな子に、本気で行こうとすると、空回る。
好きでもない子からは、なぜかバレンタインをもらえる。
学生時代に本気で好きな子と付き合えなかったのは、心の余裕がなかったからだ。
面接も同じだった。
「ここで落ちたら人生終わり」と思って臨んだ面接は、全部落ちた。
顔が固くなる。アピールしようとして空回る。
本命に振られる男の顔と、同じだった。
3年目、心に余裕ができた瞬間に受かった

3年目。もう、後がなかった。
「次で最後」と決めて、また実家に戻った。
勉強拠点はおばあちゃんの空き家。面接対策は、資格スクールではなくハローワークで練習した。
でも、工場の派遣仕事は続けていた。
工場では、派遣社員と正社員は帽子の色で区別されていた。
派遣とわかると、冷たい目で見られた。「すぐ辞めるだろう」という視線。
俺は「正社員以上に働く・ミスをしない」と決めて、製品の検品作業(正確な人だけに任せられる仕事)を任されるようになった。
そして3年目の途中、直属の上司から声をかけられた。
「コテツくん、うちの正社員にならないか?」
断った。「公務員試験を最後まで受けます」と言った。
でも、その言葉をかけてもらった瞬間、何かが変わった。
「落ちてもいい。工場の正社員になればいい」
肩の荷が、ふっと降りた。
「今年が最後」というプレッシャーが、消えた。
これが、本物の余裕だった。
3年目の最終面接、俺は何もアピールしなかった。
暗記した答えも、用意した美しいエピソードも、出さなかった。
聞かれたことに、本音で、ハキハキ答えた。
「自然と話せた・キャッチボールができていた」感覚があった。
面接が終わった瞬間、「これは受かる気がする」と思った。
そして、夏。
派遣社員の休憩時間、スマホでホームページを開いた。
合格番号の中に、俺の番号があった。
「あれ、俺、受かってんじゃん」
家族のグループラインに、よそよそしい敬語で送った。
「私、この度、公務員試験に合格しました」
「いままで色々迷惑かけたけど、ここまで応援してくれてありがとう」
(実際の文面には受かった先の名前まで書いたが、ここでは伏せておく)
家族全員が喜んでくれた。
第一志望に落ちて、本当に良かった理由

3年浪人の間に、いくつもの公務員試験を受けた。
その中には、最初に本命だったところもあった。
全部落ちた。
でも今、振り返ると、あの不合格は俺の人生を救った。
俺は、チームで動くより、自分で考えて動く方が合っている。
和食店の、上に従う構造に、心が折れたタイプだ。
もし、上の指示に黙って従うだけの仕事に就いていたら、また心が折れていたと思う。
今の仕事は、自分のペースで考えながら進められる場面が多い。
一人で工夫して結果を出せるところがある。
これは、俺の性格に合っていた。
あの時、第一志望に落ちたから、今の仕事に辿り着けた。
あの時、第一志望に落ちたから、今の妻にも出会えた。
落ちたことは、辛かった。
でも、今の幸せがあるのは、あの不合格のおかげだ。
3年浪人で学んだこと

たぶん、面接の本質はこういうことだ。
「アピールしようとすると、見透かされる」
「リラックスして本音で話すと、伝わる」
これは、退路を作らないとできない。
「ここで落ちたら人生終わり」と思ってる人間は、本音じゃ話せない。アピールせざるを得ない。
だから、退路を作る。
今やってる仕事を辞めない。アルバイトでも、派遣でも、なんでもいい。「最悪これで食える」という保険を持つ。
そうすると、面接で本音が話せる。
そして、本音で話した方が、不思議と通る。
これは、恋愛にも、仕事にも、転職にも、たぶん全部に通じる。
心の余裕がない人間は、結果も出ない。
心の余裕がある人間は、結果が付いてくる。
凡人の俺が3年目で受かった、もう一つの理由

「退路を作って、本音で話せたから受かった」。これは本当だ。でも、それだけだと、ちょっと格好をつけすぎている気がする。
正直に言うと、俺は要領のいい人間じゃない。
1を教わって、0.6か0.8くらいしか覚えられないタイプだ。一発で理解して、スッと点と線をつなげられる「天才肌」じゃない。何回も同じところで間違えて、何回も解き直して、ようやく腹に落ちる。
勉強が得意な人は、たぶん、参考書を1周すれば頭に入るんだと思う。俺は、3周しても抜ける。だから、人より多く回すしかなかった。
生まれ持った能力値は、もう変えられない。それは1年目、2年目に全落ちして、いやというほど思い知った。
でも、変えられるものが、たった一つだけあった。「日々の姿勢」だ。
3年目、俺は問題集を、ただ愚直に、何度も解いた。同じ問題を、何回も間違えて、何回も解き直した。要領のいい人がスマートに覚える分を、俺は反復の回数で埋めるしかなかった。
そうやって、間違えて、解き直して、体にすり込む。その繰り返しの中で、バラバラだった知識の点が、少しずつ線につながっていく感覚が、3年目になって初めてあった。
たぶん、要領のいい人なら、1年で済んだ勉強量だ。俺は、3年かかった。でも、3年かけて打った無駄打ちの点は、要領のいい人の線より、ずっと太く、消えにくい芯になった気がする。
だから、もし今、勉強でも仕事でも「自分は覚えが悪い」と落ち込んでいる人がいたら、これだけは言いたい。
覚えが悪いのは、変えられない。でも、人より多く点を打つことは、誰にでもできる。それが、凡人が凡人なりに前に進む、たった一つの方法だ。
「モテたい」→「自分」→「家族」、動機が3段階で変わった

正直に言うと、公務員試験を受けていた頃の俺は、動機の100%が「モテたい」だった。
これは恥ずかしい話だが、嘘をつくともっと薄っぺらくなるから、ちゃんと話す。
でも、合格してから今までの約10年で、その動機は、自然と3段階で変わった。
- 20代半ば(試験浪人期〜採用直後):動機はモテたい一択だった。「社会的信用のある仕事に就けば、女の子の見る目が変わる」「安定した仕事があれば、今度こそ好きな子と、ちゃんと向き合える」──そのレベルだった。
- 20代後半(同棲・結婚期):妻と出会って同棲を始めた頃から、「モテたい」が静かにフェードアウトしていった。代わりに「目の前の人を大事にしたい」が真ん中に来た。年齢的にも、一時のドキドキじゃなくて、「日常の安心感」を作ることに、意識が向き始めた。
- 30代(子どもが生まれて以降):娘が生まれてから、完全に「家族のため」に切り替わった。妻は娘につきっきりで、自分の時間が消えていた。俺は「この家族を、ちゃんと守れる男になりたい」と本気で思うようになった。仕事の意味も、お金の意味も、ぜんぶ家族中心に再配線された。
20代の頃の俺に、これを言っても通じなかったと思う。
「家族のため」って言葉は、当時の俺にとっては、ドラマの中の正しいセリフでしかなかった。
でも今、心の底からそう思える。
動機がここまで変わったのは、合格したから、というより、合格してから出会った人たちのおかげだ。妻、娘、そして両学長。
あの不合格続きの3年間、「モテたい」だけで走ったあの時間がなかったら、その後の3段階にも辿り着けなかった。
動機なんて、どんなにかっこ悪くてもいい。走り出せば、あとから少しずつ、ちゃんとした動機に上書きされていく。
3年浪人は、無駄じゃなかった

正直、3年浪人したことを、ずっと恥じてきた。
同期より少し年上で公務員になった。
でも今、振り返ると、3年浪人で得たものがある。
- 工場で「派遣に対する冷たい視線」を体験した。「正社員以上に働く」という姿勢が身についた
- 和食店で12時間以上立ちっぱなしの労働を経験している。今の仕事で「辛い」と感じることがほとんどない
- 面接の失敗を3年分積み重ねた。本音で話す重要性が、骨身に染みた
- 「落ちてもいい」を体験した。退路を作る大事さがわかった
- 動機が「モテたい」だけだった自分を、笑える歳になった
これらは、3年浪人しなかったら得られなかった。
あと、親に20歳を過ぎてからも甘えさせてもらった環境への感謝も、ここで残しておきたい。
30万円借りて引っ越したあの時、親が「お金を惜しまず出してくれた」から、俺は次の一歩を踏み出せた。
自分のために投資するお金がなかったら、俺は動けなかった。
3年浪人を笑って話せるのは、今が幸せだからだ

正直に言うと、この記事で語ったことは、つい数年前まで、誰にも話せなかった。
同期より少し年上で公務員になったこと。動機が「モテたい」だけだったこと。おばあちゃんの空き家に一人でこもって、参考書をめくっては気が散って、ぼーっとしていたこと。3回の試験で全落ちした年もあったこと。
当時は、思い出すだけで胸が苦しくなる「黒歴史」だった。
でも今は、こうやって笑って話せる。「あの3年も、無駄じゃなかったな」と思える。
たぶん、過去の恥ずかしい話を「いい経験だった」と語れるかどうかは、今が幸せかどうかにかかっている。当時の俺には、絶対にできなかった。落ち続けている真っ最中に「これも将来いい思い出になるよ」なんて言われても、たぶん殴りたくなっただけだ。
あの3年浪人の点も、和食店で潰れた点も、工場で派遣に対する冷たい目を浴びた点も、当時はバラバラの、ただ恥ずかしいだけの点だった。それが今、1本の線につながって、人より太く絡みついた糸みたいな形で、俺の中の芯になっている。だからこそ、今の仕事で多少のことがあっても、なんとなく踏ん張れている気がする。
もし今、何かに落ち続けて、苦しさの真っ只中にいる人がいたら。たぶん今は、それを「いい経験」だなんて思えなくていい。思える日は、ちゃんと幸せになった後に、勝手にやってくる。
俺の場合は、ニートになった24歳の春から数えて、なんだかんだ十数年くらいかかった。
でも、十数年かかっても、ちゃんとここまで来られた。
ただ、ひとつ補足させてほしい。「十数年も待てないよ」と思った人へ。
十数年経った日に、急に景色が一気に変わるわけじゃない。急に気持ちが幸せになるわけでもない。徐々に、徐々に、少しずつ変わっていくんだ。
トンネルの出口が、徐々に近づいてくる感じ。先のほうから、徐々に日が差してくる感じ。「ああ、出口に近づいてるな」と実感できるだけで、目の前の景色は、だいぶ明るくなるはずなんだ。
筋トレと似ている。ある日突然変わるんじゃなくて、徐々に徐々に、体が軽く感じられてくる。気がついたら、去年の自分より楽になっている。そういう感覚に近い。
だから、「十数年も待てない」と心配しなくていい。明るくなり始めるのは、もっとずっと手前からだ。
俺の3年浪人が、誰かの背水の陣を、ちょっとだけ緩める助けになれば。
動機がどんなにかっこ悪くても、何年回り道しても、やり直しはきく。勉強が苦手でも、要領が悪くても、平凡な俺でも、辿り着けた。
だから、いま落ち続けているあなたも、たぶん大丈夫だ。
今日やったことは、今はまだ、バラバラの無駄打ちにしか見えないかもしれない。俺の3年間も、ずっとそうだった。
でも、無駄打ちの点は、打ち続けていれば、あとから勝手に線になる。線になった点は、あなたの芯になる。
顔を上げて、今日も一つ、点を打っていこう。
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