凡人の俺が「1.1の努力」を続けたら、35歳でゆっくり人生が上を向いた話

窓辺の木の机に積まれた、使い込まれた無地のノートの山とペン。奥に和室の障子と木の書棚 俺の物語

📝 このブログは『コテツの妻』が運営しています

一般企業勤務の妻が、地方公務員の夫(コテツ・37歳)の体験談を聞き取って代筆/編集/公開しています。

※本ブログにはアフィリエイト広告が含まれます。

先に言っておくと、俺は天才じゃない。

1教わったことを、その場で1覚えられるタイプでもない。だいたい0.6か0.8しか頭に残らない。人が1回で覚えることを、俺は何回も間違えて、怒られて、やっと体に入る。そういう人間だ。

そんな俺が、35歳を過ぎたあたりから、なんとなく人生が上を向いてきた。派手な成功じゃない。ゆっくり、地味に、だ。

振り返って「これが効いたな」と思うものが、1つだけある。「1.1の努力」だ。今日はその話をする。

あわせて読みたい

俺は「1教わって、0.6しか残らない」タイプの人間だ

夜、デスクライトの下でノートにメモを書き込む手元

世の中には、1教わったら1どころか2も3も自分で応用できる人がいる。学生時代にもいたし、今の職場にもいる。正直、うらやましい。

俺はそうじゃない。1教わって、0.6か0.8。しかも1回じゃ入らない。何回も同じところで間違えて、その都度メモして、体にすり込んで、ようやく「できる」になる。

昔はこれがコンプレックスだった。「なんで俺はこんなに飲み込みが悪いんだ」と。でも、あるときから考え方を変えた。頭の良さは、たぶん生まれつきで変えられない。でも「日々どう動くか」は、今日から変えられる。

変えられないものを悩んでも仕方ない。変えられるものだけに集中する。それだけのことだった。

だから「1.1」だけ、無理しない範囲で積むことにした

早朝の静かな通りを、少し早めに職場へ歩いていく男性の後ろ姿

俺がやったのは、シンプルだ。1の仕事に対して、1.1か1.2だけ多くやる。それを毎日続ける。

ここで大事なのは、2倍も3倍もやろうとしないことだ。俺は昔、飲食の現場で無茶をして、心が折れて逃げたことがある(その話は別に書いた)。だから知っている。急に2倍3倍がんばると、人は続かない。心が壊れる。

そうじゃなくて、1.1。「ちょっとだけ多め」を、無理のない範囲で。

たとえば、少し早く来て準備する。休みの日に、覚えたいことを少しだけ触っておく。給料が増えるからじゃない。ただ「早く一人前になりたい」からやっているだけだった。

1.1と1は、1日で見たらほとんど差がない。1週間でも、たぶん誰も気づかない。でも、これが1年、3年、5年、10年と続くと、とんでもない差になる。

「1でいいや」と最低限で止めた人は、いつまでたっても指示待ちのままだ。1.1を続けた人だけが、気づいたら、考えなくても体が動くようになっている。

「無駄打ちの点」は、いつか線になる

夕方の机の上、書き損じて丸めた紙とやり直しのノート

俺のやってきたことの多くは、その場では「無駄打ち」に見えるものだった。

何回も間違えて、怒られて、やり直す。人が1回で終わることを、俺は何度も繰り返す。傍から見たら効率が悪い。要領も悪い。

でも、その1つ1つが「点」なんだと思う。凡人の俺は、才能のある人よりたくさんの点を打たないと、身につかない。だから人より多く、無駄に見える点を打ち続けるしかなかった。

面白いのは、ある日ふっと、その点と点がつながる瞬間が来ることだ。バラバラだった経験が、急に1本の線になる。「あ、あのとき苦労したのは、このためだったのか」と。

なんとなく、人生ってそういうものなんじゃないかと思う。今打っている点が無駄に見えても、あとで線になる。少なくとも、俺の場合はそうだった。

成長できない時間が、俺には一番つらかった

平日の昼、誰も並んでいないスーパーのレジ

ここで、俺の変なところを1つ白状する。俺は、「楽で暇な仕事」がいちばん苦痛なタイプだ。

大学に入って最初にやったのが、スーパーのレジ打ちのバイトだった。平日の昼間は、1時間に2〜3人しかお客が来ない。ずっと立って、ぼーっと待っている。時給は800円台。

楽といえば楽だ。でも俺には地獄だった。自分が何も成長していない時間が、ただただ苦痛だったんだ。うまくなるのは、電卓を打つ速さくらい。3ヶ月で辞めた。

高校生の頃にやった引っ越しの派遣バイトも似ていた。現場でパワハラみたいな扱いを受けて、結局3時間くらい待機要員として何もせず、もらえたのはなけなしの3,000円。何も残らなかった。

逆に、飲食店のバイトは続いた。ホールも厨房も、最終的には任せてもらえた。カクテルのレシピは今でも頭に入っているし、創作料理のレシピはメモして今も大事に持っている。やればやるだけ、自分に何かが積み上がる感覚があった。だから続いた。

この2つの違いで、俺は自分のことがわかった。俺は、楽をしたい人間じゃない。「成長できる場所」にいたい人間なんだと。

俺は「晩成型」だと思っている

夜、暖かい灯りの下でパソコンに向かう手元

正直に言う。10代、20代の俺は、パッとしなかった。

一番遊び盛りの、キラキラした青春を送りたかった時期に、俺はそれができなかった。「あのとき、あの子と付き合えていたら」なんて、灰色の思い出をずっと引きずっていた。

でも、あるとき気づいた。時間は戻せない。過去をいくら悔やんでも、1秒も巻き戻らない。

俺が両学長(お金の教育で有名な人)の言葉でいちばん救われたのが、これだ。「今日が、人生でいちばん若い日」

昨日を悔やんでいる今日この瞬間が、これからの人生でいちばん若い。だったら、過去を見て落ち込むより、今日を少しでも良くすることにエネルギーを使ったほうがいい。

俺は自分のことを「35歳、36歳になって、ようやく完成する晩成型」だと思っている。早咲きじゃない。むしろ、ずいぶん遅い。でも、遅く咲く花があってもいいはずだ。

60歳になって、体がよぼよぼになってから、貯めたお金で世界旅行——という生き方も否定はしない。でも俺は、今を完全に犠牲にするやり方は、筋が悪いと思っている。だから今、こうしてブログを書いて、少しずつ自分の力を育てている。晩成型の花を、今から咲かせにいくために。

今も、自信なんてない

朝の窓辺の机に置かれた開いたノートと湯気の立つマグカップ

ここまで偉そうに書いてきたけど、最後に本当のことを言う。

俺は今も、自信満々じゃない。むしろ不安だらけだ。今の仕事でも、「自分なんてまだまだ未熟者だ」とどこかで思っている。上の立場になればなるほど、気軽に質問できる人も、頼れる人も減っていく。

V字回復した、なんて書くと、いかにも「もう完成された成功者」みたいに聞こえるかもしれない。でも、全然そんなことはない。俺は今も、迷いながら、不安を抱えながら、1.1を積んでいるだけの凡人だ。

たぶん、それでいいんだと思う。完成した人間になる必要なんてない。昨日より少しだけマシな自分を、毎日ちょっとずつ更新していく。それを何年も続けられたら、凡人でも、ちゃんと人生は上を向く。

才能じゃない。要領でもない。1.1を、無理せず、長く続けられるか。それだけだと、俺は思っている。

もしあなたが今、「自分は平凡だ」と感じて足踏みしているなら——大丈夫だ。今日が、あなたの人生でいちばん若い日だから。

今日からなら、まだ何かをちょっとだけ変えられる。2倍も3倍もいらない。1.1でいい。

今日もあと少しだけ。

イチロー選手が、こんなことを言っていた。

「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」

あの人ですら「積み重ね」だと言うんだ。だったら、凡人の俺がやることは決まってる。


俺の考え方を変えた1冊

この記事で何度か名前を出した両学長の考え方は、『お金の大学』という本にまとまっている。情報商材で100万円以上を溶かした俺が、初めて「この人は本物だ」と感じた人の本だ。「今日が一番若い日」も、この人から教わった言葉だ。

お金の話がメインの本だけど、根っこにあるのは「凡人が、どう人生を立て直すか」という考え方だと思う。気になったら、手に取ってみてほしい。

🎓『本当の自由を手に入れる お金の大学』(両学長)

あわせて読みたい

コメント

タイトルとURLをコピーしました