情報商材で100万円以上溶かした俺が、立ち直るためにやった一つのこと

俺の物語

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情報商材で100万円以上溶かした話は、別の記事で書いた。

この記事は、その続きだ。

「溶かしました。バカでした」で終わるブログは山ほどある。でも「そこからどう戻ってきたか」を書いている人は、探してみるとほとんどいない。理由は簡単で、失敗を隠して、次は売る側に回る人が多いからだ。ミイラ取りがミイラになる。

俺は戻ってこられた側なので、その過程を正直に書く。先に言っておくと、劇的な話は何もない。意志の力で断ち切ったわけでもない。やったことは一つだけだ。

結論:毎朝聞く声を変えた。それだけ

朝の台所で家事をしながらスマートフォンの音声を聞く手元

俺が情報商材から抜け出せたのは、両学長(リベラルアーツ大学)の朝のライブ配信を、毎日耳に入れる生活に変えたからだ。

出会いは偶然だった。新NISAが話題になり始めた頃、制度を自分で調べているうちに、一人で行ったスノボーの帰り道で、初めて両学長の動画にたどり着いた。2023年の年末のことだ。そこから、気づいたら商材に金を払わなくなっていた。

学長は、俺のように「稼ぎ方のスクール」に入ろうとしている人間に向かって、そんなものに入っても稼げるようにはならない、という趣旨のことを、はっきり言い切っていた。この言葉で、はっとした。

ただ、かっこいい決別の瞬間があったわけじゃない。「もう買わないぞ」と紙に書いて誓ったわけでもない。ある日ぱったり辞めたのではなく、徐々に、徐々に、解毒されていく感じだった。通勤中や家事をしながら片耳で学長の話を聞く日々を続けていたら、保険のこと、投資のこと、仕事との向き合い方——凝り固まっていた考えが少しずつ解けて、気づいたら商材に金を払う気が起きなくなっていた。

人間は、ついていく人の考え方に引っ張られる。これは俺が身をもって確認したことだ。商材屋の言葉ばかり浴びていた頃の俺は商材屋の理屈で物を考えていたし、学長の声を毎日聞くようになった俺は、少しずつ学長の理屈で物を考えるようになった。

宗教みたいに聞こえるかもしれないが、逆だ。中身を盲信しろという話ではなくて、自分が毎日どの声を浴びるかで、判断の基準そのものが入れ替わってしまうという話だ。だったら、浴びる声は自分で選んだほうがいい。

正直に言う。完全に縁は切れていない

暗い部屋でスマートフォンを手にためらう手元

「立ち直った」と書いたが、正確に言うと、情報商材と完全に縁を切るのは多分無理だ。

今の時代、ネットを開けば情報商材はそこら中に隠れている。検索すれば出てくるし、SNSにも紛れ込んでいる。「二度と視界に入れない」は現実的に不可能だ。

実際、最近もヒヤッとしたことがあった。俺が登録して楽しみに見ていた、海外の自己啓発情報をまとめてくれるYouTubeチャンネルがあった。面白いことを言う人だなと思って聞いていたら、ある日突然、参加費が数万円から十万円近くする有料プログラムを打ち出してきた。

がっかりした。と同時に、正直に白状すると、一瞬「入ろうかな」と心が動いた。浮気しそうになる気持ちは、今でもゼロじゃないのだ。

踏みとどまれたのは、俺の意志が強かったからじゃない。一番信頼している学長が、日頃から、高額なスクールに金を払っても意味がない、という趣旨のことを言ってくれていたからだ。つまりここでも、俺を守ったのは意志じゃなくて環境だった。

商材屋への違和感は、金を切らした時にわかった

机の上のほとんど空の財布と数枚の小銭

思い返すと、商材屋への違和感には、はっきりした決定打があった。

商材屋は、当たり障りのないことを言うのが上手い。そして、さりげなく次の商材を売ってくる。それでも当時の俺は「この人は先生だ」と思ってついていった。

でも、あるとき気づいてしまった。結局、お金を払い続けないと付き合えない人なんだ、と。

先生にはなってくれる。でも、仲間ではない。友達でもない。支払いが止まれば、関係も止まる。それが、心底残念だった。

信頼できる発信者の見分け方が、一つだけある

夕方の部屋でノートパソコンの画面を腕組みして眺める男性の後ろ姿

この経験から、俺なりの基準が一つできた。

「その人は、発信で食っていく必要があるか?」

両学長は、経済的にすでに自立した上で発信している。本人もよく話していることだが、明日の生活のために視聴者から金を取る必要がない。だから高額スクールを売る方向に転がらない。

もう一つ、俺が学長を信用している理由がある。朝のライブ配信を、365日ほぼ毎日続けていることだ。台本のない生放送で、毎朝リスナーの悩みに答え続けている。土壇場の生放送で嘘をつき続けるのは難しい。声のトーンや、言葉のちぐはぐさに、必ず違和感が出る。俺はもう1〜2年ずっと聞いてきたが、その違和感がない。信じるかどうかは、言葉の中身より、こういう「続けている姿」で判断したほうがいいと思う。

一方で、発信そのもので生計を立てている人は、どれだけ立派な信念を持っていても、いつか生活と信念を天秤にかける日が来る。見通しの立たない個人事業で食い続けるのは、それくらい厳しい。さっきの海外系チャンネルの人も、きっと悪人だったわけじゃない。食っていくために、ああするしかなかったのかもしれない。

これは他人事じゃない。このブログだって、同じ構造の上に立っている。俺には公務員という安定した身分があって、ブログの収入をあてにしなくても生活が回る。だから、このブログは焦って広告に走る必要がない。もし俺が無職で、このブログで生計を立てなきゃいけない状況だったら? きっと真っ先に広告を貼りまくって、少しでも収入が欲しいと必死になっていたと思う。「読者のために」なんて言っていられなかったはずだ。

人は状況に流される。だから発信者を見るときは、言葉の熱さじゃなくて、その人が置かれている構造を見たほうがいい。

あの頃の俺に足りなかったもの

深夜にパソコンの青白い光だけが照らす机

振り返ると、商材を買い漁っていた頃の俺には、信頼できる声が一つもなかった。

誰にも相談できず、深夜に一人で画面を眺めて、「これで人生が変わるかもしれない」という言葉に金を払っていた。相談相手がいなかったから、声の大きい奴が正しく聞こえた。

あの頃の俺が一番言ってほしかった言葉は、今でもはっきり言える。「お前、騙されてるぞ」だ。それも、優しく遠回しにじゃない。「俺も同じようなものを見たことがあるけど、お前が信じてるものに魔法はない。お前の求める結果は来ないと思うぞ」——理由つきで、ズバッと言い切ってくれる人が欲しかった。でも、そんな人は現れなかった。

今の俺には、毎朝の学長ライブがある。正直、ライブの内容は、ぼったくり保険への注意喚起とか、やるべきことを淡々とやろうという話とか、同じ話の繰り返しも多い。真新しさはない。でも、それでいいのだと今は思う。あれは新情報を仕入れる場じゃなくて、判断の基準が狂っていないか毎朝確認する場なのだ。歯磨きに近い。

基準さえ狂わなければ、多少ヒヤッとする誘惑が来ても戻ってこられる。

これから立ち直る人へ

朝の光が差し込む机に置かれたスマートフォンと片耳イヤホン

もし今、まさに商材をポチる直前の人がこれを読んでいたら、あの頃の俺が言ってほしかった言葉を、そのまま言っておく。

お前、騙されてるぞ。そこに魔法はない。俺は10年以上買い続けて、身銭でそれを確かめた。お前の求める結果は、そこからは来ない。

そして、もう溶かしてしまって、自分を責めている人がいたら、俺から言えることは一つだけだ。

意志の力で立ち直ろうとしなくていい。「もう二度と買わない」と誓う必要もない。俺は大学時代から10年以上、性懲りもなく買い続けた側の人間だ。誓いで止まるくらいなら、あの大金を溶かしていない。

その代わり、毎日耳に入れる声を入れ替えてほしい。俺の場合はそれが両学長だったが、誰でもいい。「この人は視聴者から金を取らなくても生きていける」という構造を持った発信者を一人見つけて、その声を毎朝の習慣にする。それだけで、数ヶ月後の自分の判断基準は静かに入れ替わっている。

金を溶かした経験は消えない。でも、それは「声の選び方を間違えるとどうなるか」を体で知っているということでもある。次に選ぶ声さえ間違えなければ、あの授業料は無駄にならない。幸い、日本は保障が手厚い国だ。正しい方向で努力を続ければ、お金の問題は立て直せる。俺自身、いまその途中にいる。

もう一つ、抜け出してから分かったことがある。まともな知識は、たいてい数千円の本に書いてある。数十万円を払わないと手に入らない情報なんて、ほとんど存在しなかった。俺の場合、学長の考え方の入口になったのは書籍版の『お金の大学』だった。ライブ配信を毎朝追うのはハードルが高いという人は、まず一冊で全体像をつかむのでもいいと思う。

俺は、誰かの先生になれるような人間じゃない。ほんの少し先に騙されて、ほんの少し先に抜け出しただけの、同じ側の人間だ。抜け出してしまえば、そこに先輩も後輩もない。だからこの記事も「教え」じゃない。俺というモデルケースが1人いるよ、という、ただそれだけの話だ。

俺がどれだけ溶かしたかの詳細は情報商材で100万円以上溶かした話に、俺がどういう人間かはプロフィールに書いてある。どん底の話も含めて、全部そのまま置いてある。

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