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一般企業勤務の妻が、地方公務員の夫(コテツ・37歳)の体験談を聞き取って代筆/編集/公開しています。
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スノボーで、人生が変わった。
そう書くと、たぶん多くの人は「上手くなったって話?」「大会で優勝でもしたのか?」と思うかもしれない。違う。俺がスノボーで変わったのは、滑りじゃない。
スノボーの帰り道に、両学長の動画と出会った。それが、俺の人生の分岐点になった。
ふつうのスキー場の、ふつうの帰り道。雪が積もった山道を運転しながら、たまたまYouTubeで音声検索した、それだけのこと。でもそこから、俺の財布の中身も、生活も、考え方も、ほぼぜんぶ変わった。
これは、「モテたい」だけで20代を生きた俺が、30代でお金との付き合い方を変えるまでの話だ。平凡な地方公務員が、たまたま冬の山道でひとつの動画にたどり着いた話。
高2の冬、「あいのり」のアイツに憧れてスノボーを始めた
スノボーを始めたのは、高校2年の冬だ。きっかけは、しょうもない。当時、深夜にやっていた恋愛バラエティ番組「あいのり」を見ていた。男女が同じワゴン車で世界を旅して、誰かが告白して、振られたり付き合ったりして帰ってくる、あの番組だ。
ある回に、スノボーが上手い男性メンバーが出ていた。雪山で颯爽と滑って、女の子が「すごい〜」と笑っていた。俺は思った。
「これ、やったらモテるんじゃないか?」
それだけだった。正直に書くが、20代までの俺の人生はだいたい全部この動機で動いていた。モテたい。それだけ。学業も、バイトも、見栄の張り方も、ぜんぶこの一行で説明がつく。純粋な動機じゃない。でもシンプルで、わかりやすくはあった。
家ではもともと、親が毎冬、家族でスキー旅行に連れて行ってくれていた。ただ、俺はスキーが好きじゃなかった。スキーって、なんかかっこ悪い。あのストックを両手に持って、足を「ハ」の字にする、あれが嫌だった。「スキーじゃなくて、スノボーがやりたい」――そう親に頼んだ。
2万円の初心者3点セットと、スクールに入らない独学

親が買ってくれたのは、初心者向けの3点セット2万円。板、ビンディング、ブーツ。一式で2万円。今思うとよく出してくれたな、と思う。決して裕福じゃない家だったのに、息子の「やってみたい」を、否定しないで2万円を出してくれた親には、改めて感謝している。
でも、ここで俺は、ある選択をした。スクールには入らなかった。
ひとつは、お金がもったいなかったから。せっかく2万円出してもらったのに、さらにスクール代を払うのは申し訳なかった。もうひとつは、性格だ。俺は、人に教わるのが、昔から苦手だった。決まった時間に集まって、決まったことを言われて、決まった通りにやる。それが、なんとなく息苦しかった。だから、ひたすら独学で滑った。
転んで、立って、また転んで、立って。雪に何回突っ込んだか分からない。そして、上手い人や、スクールの生徒さんの動きを、横目でじーっと見ていた。スクールに入らず、こっそり盗み見て覚える。このやり方は、後年、東京の寿司屋で働いたときの「見て覚えろ」文化と、まったく同じだった。
寿司屋では「見て覚えろ」に苦しめられたが、スノボーの「見て覚える」は、楽しかった。同じ「見て覚える」でも、自分で選んで盗みに行くのと、強制されるのとでは、まったく別物だった。このことに気づいたのは、ずっと後の話になる。
中学サッカーで、俺は「団体競技」を諦めた
少し、時間を戻す。スノボーを始めるよりずっと前、中学時代の話だ。俺は中学のとき、サッカー部に入っていた。正直に書くが、上手くはなかった。ボールがちょっと足から離れると、すぐに相手に取られた。一生懸命走ってるのに、技術が追いつかない。
そういうとき、味方の友達が、強い口調で言ってくる。「何取られてんだよ」「ちゃんとやれよ」――真剣勝負だから、仕方ない。それは頭では分かっていた。でも、俺はその空気がずっと苦手だった。普段は仲のいい友達だ。一緒に弁当を食べたり、休み時間にバカ話をしたりする友達。それが、試合になった瞬間、強い顔で詰めてくる。
「自分が失敗することで、誰かに迷惑をかける」――その感覚が、たまらなく嫌だった。技術がないのに「ちゃんとやれ」と言われても、できるようにはならない。一生懸命やってる人間に、「もっとやれ」は、刺さらない。ただただ、しんどかった。
このとき、俺は心のどこかで決めたんだと思う。「もう、団体競技はやらない」。それ以降の俺は、たまたまかもしれないが、団体競技から距離を置いていった。そして、人生で初めて選んだ「個人競技」が、スノボーだった。
スノボーは、1人で転んでも、誰にも迷惑をかけない。自分が滑りたいときに、滑りたいだけ滑ればいい。誰にも止められない。誰にも怒鳴られない。「俺、これだ」と思った。
大学時代、信州のスキー場で笑った夜

大学に入った俺は、ようやくスノボーを本格的に楽しめるようになった。同じくらいのレベルの友達が何人かいて、企画役は、だいたい俺だった。宿を取って、車を出して、ガソリン代を割り勘して、信州のスキー場に泊まりで滑りに行く。夜は、安い居酒屋でビールを飲んで、しょうもない恋愛話で笑って、温泉に入って、雑魚寝した。
正直、滑りが上手くなったかどうかなんて、もう覚えていない。覚えているのは、夜のロッジで、湯けむりの中で、友達と笑っていたシーン。「あいつ、今日3回もこけてたな」「お前は人のこと言えるのか」――そんなくだらない会話を、永遠にしていた気がする。
20代の俺は、まだ、ぜんぶがそんな感じだった。「楽しければいい」「モテたい」「将来のことは、また今度考える」。お金のことは、何も考えていなかった。それでも、なんとなく毎日は回っていた。
公務員になって、結婚して、「1人スノボー」になった

公務員になって、結婚して、子どもが生まれた。スノボーは、続けていた。ただ、誰と行くか、が変わっていた。学生時代に一緒に滑った友達は、それぞれの土地で、それぞれの仕事をしていた。俺自身、もともと友達が少ないほうだ。連絡を取り合うほうでもない。気づけば、スノボーは1人で行くものになっていた。
朝、まだ暗いうちに車を出す。コンビニでホットコーヒーを買って、フロントガラスの霜を落として、雪道を1人で運転する。寂しいかと言われれば、まあ、寂しい。でも、嫌じゃなかった。個人競技は、1人だからこそ完成する世界もある。
スピーカーから自分の好きな曲を流して、好きなコーヒーを飲んで、好きな時間に滑って、好きな時間に温泉に入って、好きな時間に帰る。誰にも気を使わない。これはこれで、なかなか悪くない。そう思っていた、ある年の冬。俺の人生で、いちばん重要な日が訪れる。
雪山の帰り道、音声検索で「新NISA」と打ち込んだ

新しいNISAが始まるか始まらないか、という頃。子どもがまだ、首も座らないくらいの小さい頃。1人でスノボーに行った帰り道だった。行きの車の中では、いつもの通り、スノボーのテクニック動画と、好きな音楽でテンションを上げていた。問題は、帰り道だった。
体は疲れている。気持ちはちょっと満ち足りている。家まではまだ何時間もある。雪道で、運転以外、何もすることがない。そのとき、ふと、こんなことを考え始めた。「やることがない」「子どもも生まれた」「新しいNISAが始まる」「今、つみたてNISAをやってるけど、何か変える必要があるのか」「ていうか、新NISAって、何だ?」
車の運転中だから、スマホの画面は見られない。俺は、ハンドルに手を置いたまま、カーナビ連携のYouTubeに、声でこう打ち込んだ。
「新NISA」
そこに出てきた動画の中の1本に、両学長の動画があった。これが、俺の人生の分岐点だった。
胡散臭くない声。煽らない口調。「俺から金を取ろうとしている雰囲気」が、まったくなかった。情報商材で100万円以上溶かして、お金の話に防衛本能ガッチガチだった俺が、初めて「この人、本物だな」と思った瞬間だった。
そこから、リベシティ入会まで、2〜3週間ためらった。詳しい話は別記事に書いた(スノボー帰りの車で偶然出会った「両学長」が、俺のお金観を全部ひっくり返した話)。ここでは、スノボーから話が逸れすぎないように、要点だけ書いた。
妻をスノボーに連れて行ったら、「ゴリゴリ」と言われた話
ちょっと、話の流れを変える。学長派になる前、俺は、結婚してすぐの頃に、1度だけ妻をスノボーに連れて行ったことがある。妻はスノボー初心者だった。というか、もともと、運動神経が、少し独特な人だった。これは悪口じゃない。妻には妻の得意分野があり、頭の回転は俺より速いし、料理も上手だし、子どもへの愛情も深い。ただ、雪の上では、勝手が違った。
板を履いた妻は、ものすごい音を立てて転んだ。「ゴリゴリッ」――これは俺の言い方じゃない。妻自身が、転びながら言ったセリフだ。「もう無理。私、ゴリゴリ。」
その日以来、俺は妻をスノボーに誘うのを、ぴたっとやめた。今でも、ときどき妻が言う。「あなたが行きたいなら、1人で行ってきていいよ。私は家にいる。」――ありがたい話だ。家に居場所があるから、俺は雪山に1人で行ける。雪山にひとりで行けたから、俺はあの動画と出会えた。つまり、今のお金の話を書けているのは、妻が「ゴリゴリ」と言ってくれたおかげでもある。これは、本気で書いている。
娘にも、いつかゲレンデで滑ってほしい
夢が、ひとつある。幼い娘に、いつかゲレンデで、一緒に滑ってほしい。「お父さんに教わって滑れるようになった」――そう言ってもらえたら、たぶん俺は泣く。
ただ、現実は、そう簡単じゃないかもしれない。うちの娘は、少し慎重な性格だ。新しいことを始めるのに、時間がかかるタイプ。たぶん、ゲレンデに連れて行っても、「怖い」「滑りたくない」「お家に帰る」と言うかもしれない。それなら、それでいい。
俺がしたいのは、「娘に俺の趣味を押し付けること」じゃない。「娘がやりたいと言ったときに、いつでも教えられる父親でいること」だ。スノボーじゃなくてもいい。絵でも、ピアノでも、ダンスでも、本でも、ゲームでも、なんでもいい。「お父さん、これやりたい」――そう言ってきた日に、「いいぞ、やってみろ」と言える父親でいたい。
そのためには、俺自身が、いろんなことをやめずに続けている人間でいたい。その「やめずに続けたい趣味」のひとつが、スノボーだ。
20代「モテ山」、30代「小金持ち山」
ここまで書いて、ふと気づいたことがある。20代の俺は、ずっと「モテ山」を登っていた。「モテたい」という、ただそれだけの動機で、スノボーを始め、バイトをし、服を買い、革靴にこだわり、ブランドのメガネをかけ、見栄を張った。しょうもない、と笑うのは簡単だ。
でも、あの「モテたい」がなかったら、俺はスノボーすら始めていない。何かを始める動機なんて、しょうもないところから出てくる。それでいい。問題は、「登る山を、途中で変えられるかどうか」だけだ。
30代の俺は、両学長に出会って、山を変えた。今登っているのは、「小金持ち山」だ。これは、両学長の言葉だ。無理にFIREして大金持ちになる山じゃない。毎日の家計を整えて、無駄を減らして、長く働ける身体と心を保って、家族と笑える時間を増やす山だ。
頂上は遠い。でも、登っている途中の景色が、悪くない。20代の俺は、頂上だけを見ていた。30代の俺は、途中の雪原と、温泉と、家族の顔を見ている。スノボーが、なんとなく、似ている気がした。
最後に:あなたの人生を変える「ふつうの帰り道」

俺が両学長に出会ったのは、雪山の帰り道だった。特別なセミナーじゃない。特別な人に紹介してもらったわけでもない。高い情報商材を買ったわけでもない(過去に痛い目見ているから、もう絶対に買わない)。ただの、雪道の、ただの、帰り道。音声検索で「新NISA」と言っただけ。
たぶん、あなたの人生を変えるきっかけも、こんな感じだ。特別な日じゃない。何でもない日の、何でもない帰り道で、何でもなくスマホをいじったときに、ふっと出会う。そのときに大事なのは、「胡散臭くないと思える人の話を、ちゃんと聞いてみること」。これだけだと思う。
俺は両学長と出会ってから、お金との付き合い方を、根っこから変えた。詳しい中身は、このブログの他の記事に、少しずつ書いていく。もし、この記事が、あなたの「ふつうの帰り道」の1本になれたなら、それ以上に嬉しいことはない。
雪山でも、街でも、地下鉄の中でも、夜中のキッチンでも、どこでもいい。あなたが、あなたの「ふつうの帰り道」で、いい出会いに恵まれますように。そして、もしすでに何かに痛い目見ていたとしても、俺と同じように、いつでもやり直せる。
平凡な地方公務員の俺が、雪道で出会ったひとつの動画から、家計も生き方もガラッと変えられた。特別な才能なんて、ひとつも要らなかった。
俺がそうだった。あなたも、必ずそうなる。
俺と一緒に、前を向こう。


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