📝 このブログは『コテツの妻』が運営しています
一般企業勤務の妻が、地方公務員の夫(コテツ・37歳)の体験談を聞き取って代筆/編集/公開しています。
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占い師にお金を払って、怒られた話だ。
24歳、ニート。東京のアパートで、誰にも連絡できないまま、3週間が過ぎた。そして藁にもすがる思いで、東京タワー近くの占い師のところへ行った。
俺が期待していた言葉は、「あなたは本来◯◯に向いている」「東京を離れると運が開ける」みたいな、どこかに逃げ道になる魔法のフレーズだった。でも、実際に返ってきたのは、こうだった。
「実家に帰った方がいい。特にやりたいこともないんでしょう。何のために東京にいるの」
これは、その占い師の正論で目が覚めた、人生で一番情けない3週間の話だ。東京の寿司屋を1年で逃げ出した俺が、どんな底を這いずり回ったか。
湘南の海と横浜のカプセルホテル

無断欠勤した翌日、なんとなく自転車で湘南の海に行った。特に理由はなかった。ただ「広いところに行きたかった」だけだった。春の海だった。平日の昼間だから人も少なかった。波が来ては返すのをぼんやり見ていた。「仕事どうしよう」とか「これからどうなるんだろう」とか、そういうことを考える気力すらなかった。ただ海を見ていた。波の音だけが聞こえた。
しばらくして自転車で横浜まで移動した。電車でアパートに帰る気になれなかった。横浜のカプセルホテルに初めて泊まった。鍵付きのロッカーに荷物を詰めて、体一つ分のスペースに寝転んだ。狭かった。でも妙に落ち着いた。誰も俺のことを知らない場所で、小さな箱の中に収まっていた。
その夜、初めて親に電話した。無断欠勤してから何日か経っていた。その間、誰とも話していなかった。電話をかける前、言い訳を考えた。「お店の環境が悪くて」「体調を崩していて」「もっといい職場を探している」みたいなことを言おうとしていた。でも親の声を聞いたら全部崩れた。
「心配かけてごめん。もう無理だよ。一旦辞めたい」――泣きながら言った。親は怒らなかった。
電話を切った後、余計に情けなくなった。大学4年の冬に「東京の有名な寿司屋で修行する」と急に言い出した俺に、親は反発しながらも期待してくれていた。夏休みと正月に実家に帰るたびに「いつか寿司を振る舞ってくれ」と言っていた。その期待を裏切ることへの申し訳なさで、誰にも相談できなかった。相談したら心が折れると思っていた。結果的に最悪な形で店にも親にも迷惑をかけることになった。
東京アパートでの3週間、誰にも会わない日々

横浜から帰った後も、すぐ実家には戻らなかった。東京のアパートで約3週間、何もしないで過ごした。昼夜は逆転していた。天気がいい日も、外に出る理由がなかった。
お金はギリギリあった。最後の給料と少しの貯金で、2〜3ヶ月は生きていける計算だった。だから「今すぐ動かなければ」という切迫感がなかった。正直、それが悪かったと思う。追い詰められていたら、もっと早く動けたかもしれない。
仕事を探す気にもなれなかった。理由は単純だった。「また失敗したらどうしよう」という怖さが先に来た。一度逃げた人間は、次の一歩が極端に重くなる。あの感覚は今でも覚えている。
友達にも連絡できなかった。みんな社会人1年目で、ちゃんと働いていた。「俺はニートです」とは言えなかった。LINEを開いては閉じる、それだけだった。気づいたら3週間、誰とも会っていなかった。
藁にもすがって、占い師のところへ行った

そのとき、藁にもすがる思いで占い師のところへ行った。「渋谷の母」や「銀座の母」と呼ばれる有名な占い師が当時いた。実は寿司屋で働いていた時も、一度行ったことがあった。12月頃、仕事が辛くなってきた時期に渋谷の母のところへ行った。恋愛運・仕事運を占ってもらった。「あんた面食いだね」と言われた。確かにそうだったので、妙に納得した記憶がある。占いの内容より、その一言の方が残った。
ニートになってから行ったのは、東京タワーの近くにある占い師だった。薄暗い部屋に通されて、「何を聞きたいですか」と聞かれた。
「将来、自分は何が向いているか知りたいです。今後どうすればいいか教えてください」――そう言った。本音は「俺にはすごい才能がある、それを教えてほしい」みたいな、都合のいい言葉を期待していた。「あなたは本来◯◯に向いている」「東京を離れると運が開ける」みたいな、どこかに逃げ道になる言葉をもらいに行っていた。
でも実際に言われたのは怒りに近い正論だった。
「実家に帰った方がいい。特にやりたいこともないんでしょう。何のために東京にいるの」
がっかりした。お金を払って怒られた。でも「そうだな」とも思った。占い師にすら正論を言われた情けなさは、妙にリアルだった。プロに「帰りなさい」と言われた人間の話だ。笑えない。
一歩間違えれば、危ない道に進んでいた

あの3週間、金に困っていたわけじゃなかった。でも今考えると、一歩間違えれば危ない道に進んでいた可能性は十分ある。ぼーっとスマホを見ていると、「日払い・高収入・即日OK」みたいな文字が流れてきた。一瞬、指が止まった。クリックはしなかった。でも「なんだろう」とは思った。当時の俺の状態で、あそこに踏み込んでいたらどうなっていたか。今でも考えたくない。
クリックしなかったのは、親に連絡していたからだと思う。「親が知ったら何と言うか」というブレーキが、辛うじて残っていた。
今ならわかる。追い詰められた人間が危険な方向に流れていくメカニズム。「誰にも言えない孤立」「お金が尽きていく焦り」「承認欲求」が揃ったとき、人間は判断力を失う。俺はたまたまその手前で踏みとどまっただけだった。運が良かっただけだ。
「帰ってきな」――親の、たった一言

占い師の言葉が頭から離れなかった。数日後、親に改めて電話した。「実家、帰ってもいいか」と聞いた。
「帰ってきな」と言われた。それだけだった。怒られなかった。責められなかった。ただ「帰ってきな」の一言だった。
実家に帰ったとき、親はご飯を出してくれた。何も言わなかった。久しぶりに食べた家の飯は、正直よく味がしなかった。でも温かかった。それだけで十分だった。
引越しは高校の時からの親友が手伝ってくれた。当時、東京で大学院生をしていた奴だ。引越し業者は頼まなかった。大きなレンタルのバンを2人で借りて、一人暮らしの荷物を積んだ。俺が無断欠勤したことも、ニートだったことも、全部知ってて手伝いに来てくれた。何も言わずに荷物を運んでくれた。あの日の帰り道、バンの助手席で何を話したか全然覚えていない。でも何か喋っていた気がする。久しぶりに笑ったのはあの日だったと思う。
東京を去るとき、後悔よりも安堵の方が大きかった。「やっと終わった」という感覚だった。1年ちょっとの東京生活。最後は逃げるように終わった。
あの3週間で気づいたこと

今でも「あの3週間があったから今がある」とは素直に思えない。ただただ情けない時間だった。誰にも連絡できなかった3週間。当時の俺は本当にダメだった。
でも親の「帰ってきな」という言葉は、今でも忘れない。怒らなかった親のこと、何も言わずに荷物を運んでくれた親友のことも。占い師に「お金を払って怒られた」あの日も、結果的には俺を救ってくれた。
いつかこのブログを娘が読む日が来たら、このことを伝えたい。どん底のとき、人間は一人では立ち直れない。頼れる場所があること、頼れる人間がいることが、全部だ。プライドより先に、素直に「助けてくれ」と言える人間になれ。それだけだ。
もし今、あなたが似たような場所にいるなら――「実家に帰ってもいいか」と一言だけ親に電話してみてほしい。親じゃなくてもいい。高校の親友でも、大学の先輩でも、いつかの恩師でも。「助けて」の3文字は、思っているより重くない。
俺がそうだった。あなたも、必ず立ち直れる。
俺と一緒に、前を向こう。


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