📝 このブログは『コテツの妻』が運営しています
一般企業勤務の妻が、地方公務員の夫(コテツ・37歳)の体験談を聞き取って代筆/編集/公開しています。
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なんとなく大学に行き、寿司屋に正社員として就職し、なんとなく公務員になった。37歳まで、ずっと「なんとなく」で生きてきた。
そういう男が、37歳でようやく方向転換して、少しずつ変わってきた記録だ。うまくやってきた人間の話じゃない。情報商材で100万円以上溶かし、寿司屋で1年で逃げ出し、公務員試験に3年落ち続けた人間が、ある冬のスノボー帰りで人生を変えた話。
この記事は、「自分も何かなんとなくで生きてきた気がする」と感じている人と、「37歳から本気になっても遅くないのか?」と問いたい人に向けて書いた。結論から言う。遅くない。俺がそうだったから、断言できる。
幼稚園でリーダーだった俺が、中学で完全に埋もれるまで

幼稚園のころ、俺はクラスのリーダー的な存在だった。「あの花」のじんたんみたいな感じだ。なんとなく中心にいて、なんとなく仕切っていた。小学校も同じだった。1学年1クラス30人の、ちっちゃな世界だ。今思えば完全に「井の中の蛙」だったけど、当時の俺にはそれが全てだった。小3〜4年は学年で一番足が速かった。バレンタインのチョコも毎年もらっていた。調子に乗っていた。
でも、小5〜6年あたりから空気が変わってきた。周りが急に速くなった。チョコが来なくなった。「ああ、俺って別に特別じゃないんだな」というのが、じわじわわかってきた。中学でそれが確定した。近隣の小学校と合併して、急に1学年4クラスになった。30人の世界から120人の世界だ。埋もれた。完全に。じんたんはどこかに消えた。気づいたらモブキャラになっていた。
そのまま高校に行った。公立受験に失敗して、私立高校へ。コンプレックスの温床だった。剛毛・縮毛・一重・ニキビ・ガリガリ体型。男兄弟しかいない家庭で育ったから女の子と話すことすらできなかった。毎日誰か1人の女の子と一言挨拶するだけで心が踊っていた。ピュアというか、情けないというか。彼女なし・童貞のまま卒業した。髪のことでは「スチールウール」と呼ばれた時期もある。笑えない話だ。
ただ、一個だけいいことがあった。登山部で、先輩から部長に推薦してもらった。幼稚園以来、久しぶりに「前に立てる」体験をした。小さな、本当に小さな誇りだった。でも今でも覚えている。で、なんとなく指定校推薦で大学に行った。
俺の黒歴史:情報商材・寿司屋・3年間の浪人

大学に入って、後輩の女子に振られた。そこから「振り向かせる方法」を検索したのが人生の迷走の始まりだった。辿り着いたのが情報商材だ。大学3〜4年は情報商材屋になろうとして、授業にほとんど行かなかった。当然成果は出ない。少年ジャンプの裏広告に載っているような怪しい案件も実際に買った。ミクシーのオフ会でアムウェイ的な団体にカモにされた。この情報商材での失敗は、大学4年間で100万円以上溶かすほど深刻だった。
卒業の2〜3ヶ月前に、初めて就職先を探し始めた。遅い。異常に遅い。そして「どうせなら一番難しいものを」という安易な理由で、東京の寿司屋に飛び込んだ。12時間以上立ちっぱなし。足がパンパンでも椅子に座れない。刺身の切り方一つで怒鳴られる毎日。身体で覚える世界だった。結果的にそこを出た。意志の問題ではなく、身体と環境の限界だった。
そこから地方公務員を目指した。地元・東京・各地の公務員試験を受けた。3年間、落ち続けた。1回目(2013年)は全落ち。そのまま実家を出て、工場の派遣社員をしながら2回目の受験(2014年)に臨んだ。結果はむしろ悪化した。全落ちだった。
3回目(2015年)は「今年で最後にする」と決めた年だった。他の自治体は全滅。唯一受かったのが、地元の自治体だった。「なんとなく公務員という肩書きに憧れた」という、それだけの理由で受けていた試験だ。28歳のその年、初めて自信が持てた気がした。
公務員になって落ち着いた。でも、何かが引っかかっていた


公務員になってから、マッチングアプリで今の妻と出会った。生活が落ち着いてきた。でも、何かが引っかかっていた。ずっとなんとなくで動いてきたツケが、ジワジワと見えてきた。
保険に入れと言われれば入り、職場の共済やアフラックや養老保険まで全部入っていた。外貨建ての貯蓄型保険も月3万円払い続けていた。「ちゃんとリスク管理している」と思い込んでいた。今思えば完璧な保険貧乏だ。妻が娘を妊娠した。先のことを、初めて真剣に考えるようになった。
スノボー帰りの車で出会った「パンツ一丁のライオン」

娘の誕生が近づいてきたある冬、「最後の一人でのスノーボード」として日帰りで雪山へ向かった。帰りの車の中、ちょうど積み立てNISAが新NISAに変わるという話題が出始めていた。「今まで雑誌通りに積み立ててきた投資信託、これからどうすればいいんだろう」という疑問があった。
「新NISA 解説 YouTube」で検索した。出てきたのが、パンツ一丁のしゃべる怪しげなライオンの動画だった。最初は完全に胡散臭いと思った。「なんだこれ、なんでパンツ一丁なんだ」――当時はVtuberもそこまで普及していなかったし、顔出しなしのキャラクターで喋る動画自体が珍しかった。
でも見ていくうちに、内容が全部的を射ていた。難しい言葉を使わない。本質だけを話している。アムウェイでも怪しい保険でも情報商材でもない、本物の人に初めて出会えた、という感覚があった。それがリベ大・両学長(YouTube登録者900万人超のお金の先生)との出会いだった。そこから数百本の動画を見た。
変わった。一気に。

ゆっくり変わったわけじゃない。一気だった。まず保険。学長の朝ライブで「貯蓄型保険はぼったくり商品だ」と何度も聞いた。月3万円消えていた外貨建ての貯蓄型保険を解約した。職場の共済・アフラック・親が掛けてくれていた養老保険・近所の保険窓口で入った医療保険。全部見直した。年間50万円以上の無駄払いが消えた。
NISAも整理した。雑誌通りに4本に分けていた投資信託を解約して、eMAXIS Slimオルカン一本に買い直した。シンプルになった。Wi-Fi・格安SIM・マネーフォワードで家計を見える化した。車を2台から1台に減らした。
そして、ずっと避けていた内部の昇格試験を受けた。学長の動画で変わった思考法がそのまま使えた。一発で合格した。
なぜこのブログに体験談を提供するのか

妻が運営するこのブログに体験談を提供することで、家族の副収入に少しでも貢献したい、というのが一つ。でも、それだけじゃない。このブログで出会った人たちと友達になりたい、という気持ちが正直ある。同じようになんとなく生きてきて、どこかで方向転換した人。今まさに変わろうとしている人。そういう人と繋がりたくて、体験を提供している。
世界各国を旅したい。妻と娘にも世界を見せたい。娘にはお金に悪いイメージを持たないで育ってほしい。「お金の話は汚い」じゃなくて、「お金は道具だ、使い方を学べばいい」と思える子になってほしい。そのために協力する。
3年浪人の俺が、組織では評価されている逆説

外から見れば、3年かかってようやく合格した「出来損ない」だ。地方公務員を目指して3回落ちた。工場で派遣をしながら勉強して、全部落ちた年もあった。滑り止めで受けた地元の公務員試験がなければ、本当にどうなっていたかわからない。でも入ってからは、同期より少し早く責任のある役回りを任せてもらえるようになった。
理由はシンプルだと思っている。「2つ上の目線で相手の仕事を常に観察する」という習慣が自然についていたからだ。これは寿司屋時代の「目で盗め」文化から身についたものだ。誰も教えてくれない。でも、やっている人を観察して、盗んで、自分で試す。その繰り返しだった。
ダメな上司を見るたびに「自分だったらどうするか」を考えてきた。理不尽な現場で耐えながら、「こういう組織の動かし方は間違っている」を体で覚えた。正直、派遣で差別されたのは今でも覚えている。「どうせ派遣だから」という空気。悔しかった。でも、その悔しさが全部エネルギーになった。寿司屋で理不尽に耐えた経験も、3年間毎年落ちた記憶も、全部今の自分の燃料になっている。
37歳でようやく本気になった、ということ

幼稚園でリーダーだった俺が、中学で埋もれ、高校で「スチールウール」と呼ばれ、大学では情報商材にはまり、寿司屋で挫折して、工場の派遣社員をやりながら受験し続けて、滑り止めで公務員になった。なんとなくの連続だった。
でも、その全部が今の自分を作っている気もする。失敗の数だけ「本物とにせものの見分け方」が少し上手くなった。騙された数だけ、本当に信頼できる情報を見極める目が育った。
ここに書くのは、そういう人間のリアルな記録だ。うまくやってきた人間の話じゃない。なんとなくで生きてきた地方公務員が、37歳でようやく本気になった話を、全部書いていく。
このブログを読んでいるあなたへ

今、出口のないトンネルをさまよっているなら、それは俺と同じだ。俺も3年間、毎年落ち続けた。寿司屋で立ちっぱなしで働いて、派遣で差別されて、ニートになった。なんとなく生きてきて、気づいたら30代になっていた。
それでも今、地方公務員として家族を養って、資産を積み上げて、少しずつ前に進んでいる。「今からでも間に合う。なんとかなる」ということを、俺は俺の背中を見せることで体現し続けたい。きれいごとは書かない。失敗も、後悔も、正直な数字も、全部ここに残す。
37歳から本気になっても、ちゃんと間に合う。俺がそうだった。あなたも、必ずそうなる。
俺と一緒に、前を向こう。


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